POP GOES ART! VOL.8


特集:ワッツインエス


 ポップ・ゴーズ・アート!が「ベーコク」や「バァフ」よりも楽しみにしている音楽雑誌、それが「ワッツインエス」なのだ

ワッツインエスのここが凄い、その1。
 レコードの紹介なのにポエムで始まってる!凄い!こんな記事読んだら興味なくても買っちゃいますよ、さすがネオアコ界の女班長荒木さん。「はーい、机を班のかたち」ガラガラガラって、おれ副班なっ。

ワッツインエスのここが凄い、その2。
 現クリエイションの社長(96年現在)アランマッギーが、ビフバンパウ以前にやっていたバンドがこのラフィンアップルだって。いやーっ!どこで見つけたのだろう!もう凄すぎ!

(しおみ)


 僕はイエローモンキーやシェリルクロウと鈴木博文とウィーンを同じ様に好きになれる奴だ、もちろん曲の出来具合によるけど、少なくとも僕は、一度何かしらひっかかると、無差別にその曲をイイ!と思ってしまうのだ。(たとえそれがグローブであっても)だから最近嫌いだったブラーの「ビートルバム」は素直にいいな(今までと違うぜデーモン!)と思った。
 でも人間ってどうしても好きなものだけ、種類を集めて満足しがちなんやな、だから、音楽雑誌もコレってものがなくて。しかたなく立ち読みであっちこっち回し読んで終わりにしてしまう。そんな中、ほとんど冗談のような、いや本気か君らと目を疑うようなウレシイ雑誌があったのだ。

それがワッツインES。

 まずビックリなのがレコメンのページ、ステレオラブのとなりにグローブがあったり、ジョナサンリッチマンとセバドーの間に小泉今日子があったりで、もう大変、それだけでオドロキなのに、そのコメントもスゴイ、ライターの個人的思い入れなのか、過剰広告なんかよう分からんが、もう愛と笑いにあふれてる。BMXのアルバムなんか

「遊園地に行きたくなっちゃったよ〜」

 って書いてある。愛あふれてますよねえ。輸入盤のページになるとさらに加速、伊藤さんは、最高、感動を連発し、僕の購買心をあおり、荒木さんは。マークと!マークのステキな文章でサイフのひもと、ココロのひもをゆるめてくれる(罪な人たちや)でもいいのだけどね。
 es名盤カタログってコーナーも大好き。過去の名盤をディープでマニアック(すでに手に入らないモノまで)でもメジャーな奴もあって、この手のものとしては最高峰に位置するんじゃないかなぁ。最近でいうとインディレーベルの回。「DHR」と「シューシャイン」を同時に紹介出来るのはワッツインESだけでしょう。見事っス。
 インタビュー記事も確かに某誌にくらべると短い。けれどキレ味が素晴しいのでバッチリ、本来はこれくらいでいいと個人的には思う。僕と彼等の間には一枚の円盤があればいいのだ。メジャーだマイナーだなんてどーでもいい、僕らはただ音楽が好きなだけ、素晴しい音楽とのしんくろするのが好きなだむけ、咲板じゃないけど、いいものはいい、悪いものは悪い、ワッツインESは主張はしない、ただ僕らは数ある中から選ぶだけ、そんな雑誌、大好きです。(トシ)


 

こらー!BMXをいじめるな!

 ほらゲンコツさんが出てきたぞ!(おっと久しぶりにベタなギャグ)いや、もう、マジで、マジでむかつきますよね、ねっ!楽しくて、素敵なBMXの新譜「テーマパーク」最高なんスけど、雑誌とかの評判があまりよくないみたいで悲しいなぁ、とそれはそれでいいんです、でも絶対許せないのは某雑誌のレビューです、はっきりと名前だせないんのがくやしいけど、

「RではじまってNで終わる雑誌」

です。
 レコードを紹介するのが目的のはずなのに、なんなんですか!こんな文章載せる編集者の人格と良識を疑うわね。とにかく問題の文章の出だしはこうです、「これは愛のムチだと思ってくれ。」って何様なんだよ偉そうに、で、「平凡なボターポップ」とけなしてて、そんじゃなにか、

あんた「異常なギターポップ」がいいのか?

「BMXがレコード出す事はBISとかの有望な新人を踏みつけてることになる」んだって。ははぁ?あんたバカァ?

脳味噌腐ってんじゃないの?

だめだ、この人バカだ、もう、相手すんのもタルイんですけど、もちろん、こんな文章でBMX聴いてる優しくて弱くて闘いつづけてるぼく(ら)の心はびくともしないけど、BISとか聴いて、グラスゴーシーンに興味持って、BMX聴こうって人もいるじゃないですか、それにアルバムのセールスにも当然関係してくるだろうし、これって営業妨害ですよね。その雑誌、残念ながら影響力強いので、これ文化の規制って問題にもなりますね。でも本当に許せないのは、こいつらが強者の論理で弱者を踏みつけているという点です。攻撃するならU2とかスマパンとかいるじゃん。そんな嘘だらけの産業音楽を神の様に崇め立てる紹介をしてて、BMXのような自分たちの音楽を正直に作りつづける弱者をいじめる。強いものにはへつらって弱いものには虐待。最低だぜ、

人間のクズだ、死んでくれないかな頼むから!

とにかくぼくはそういった連中を許すつもりはない!人と人のあいだには決して理解しあえない壁がある、ATフィールドというやつだ、それは悲しいけどしかたない事だ、ぼくはあなたを好きだけど、あなたはぼくといるととってもつらそう。そんな事って人生に何回もあるよね。それは認めなくちゃ、でも、やつらの汚らしいやり方は絶対に認めない、吐き気がする。

「RではじまりNで終わる雑誌」をぼくは二度と買う事は無い!

(しおみ)

今の僕である必要なんかないし 毎回そんなに極端なことをする必要もない/何か派手なことができなくったって ただ何となく生きて生けるだけでいい/ただトリックを見逃したくないし 何も後悔したくない
(「RIDE THE TIGER/THE BOO RADLEYS」より)


特集:岡崎京子


絶望の二乗は希望「リバーズエッジ」

 「リバーズエッジ」を読んだのは96年の年明けだった、絶望的でカッコ良すぎのこのマンガは僕の心を見事に突き刺した。96年には何かが起きていた、そう感じている、とにかく凄い作品である、ただ紙の上にインクで絵が描かれているだけなのに、なぜにぼくらは涙を流すのだろうか?壁を蹴ったりするのだろうか?ぼくはこの作品は岡崎京子という偉大な才能が描いたのではなく、時代(見えそうで見えない)空気が描かせたとしか考えられない、96年までにあった「何か」がである。現在はすでに終わってしまった「何か」がである。現在を見てみよう、岡崎京子はいまだ入院中、んで、ぼくらに絶望と痛みと生きる希望を身をもって与えてくれた、庵野ズ「エヴァ」は誤解され、消費され、あの時の熱さとは別のところに追いやられている、こんなはずではなかった!いやしかし、96年の僕の個人的な魂の漂白の執着地点であり、全ての始まりでもあった「リバーズエッジ」最高です。それを認めてしまおう。

 「ラブレス」を「愛なき世界」とはよく言ったものだ、よく考えると関心してしまう。ここに登場する子供たちには愛はあらかじめ失われている物だ。あらかじめ「なにもなかった」子供たち、愛することを知らない、もしくは出来ない子供たち。この物語の不器用な恋愛は本当に痛々しい、それぞれがそれぞれの理由により傷つけあい、奪いあい。絶望し、血を流す事になる。愛なき世界とは「平坦な戦場」の事なのか?

 死体とはこのぶっこわれた世界を吹き飛ばす存在、リアリティのないぼくらに生を実感させる存在なのだろう、そんな死体を共有する山田、ハルナ、こずえ。美しい三角関係でしょう。ホモでいじめられっ子の山田、性的脅威に独占されるハルナ、食っては吐き続けるモデルのこずえ、誰もが心にどこかしら欠落した部分を持つ、そんなトライアングルを結びつけるのが死体なのだ、これを異常と思う人もいるかも知れない、だが、異常なのはぼくらが実際に暮らしているこの世界そのものだ、この「一瞬だが永遠の愛情」は本当に美しい。

 「似ている者同士は愛しあえない」という恋愛の原則を立てておきながら、それをくつがえすラストが本当に素晴しいのが「愛の生活」よし俺もがんばろっとか思った人もいるんじゃないの?ここでは「セックスでは魂は救済されない」というテーマが横たわっているように思う、岡崎京子自身も「若者が動物に近づいていく」と嘆いていたという発言があったと聞く、愛の不毛やね。クールじゃないもんね。どんな過激な性行為よりも、無言で陸橋を渡る山田とハルナのほうがクールだもんね。

 キャラクターにシンクロしていくと、とんでもない事になる、そんな経験あれますよね、この物語でぼくがシンクロ率300%だったのが田島カンナだ。読んで思ったのだ、

あっ!これ俺だ!

 って。カンナは話の主軸からは切り離されている、ゆえに焦る訳だ。どうして愛してくれないんだろう?やがて恋愛に敗北し、絶望し、憎しみが溢れる。さて135ページを開いてください。「あの人がいるだけでいいんだ、あの人がいてぼくがいて、あの人を見つめる事が出来る、それだけでいいんだ。」山田が吐露する思いも相当なものだが、ページをめくるとカンナが二人を見ている、憎しみで体を震わせて。この攻撃にはマイった。

「さみしいよお/山田くん/もっとそばにいて/あたしのこと考えて」

「またあの女とあってるんだ/あたしは山田くんといないのに/あいつは山田くんといるんだ。」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

「あなたなんか死んでしまえばいい!」

 追い詰められたカンナは死を希望する、弱くて、人を愛することしか出来ない人間ならだれでもそうだ、ぼくが同じ状況にいたら同じ事をすると思う。「死」がカンナにとって唯一の希望なのだ、最後に山田が言う「死んでしまった田島さんは好きだよ」それだけでいいんだ、それだけで十分なんだ!

そんな愛だってある。

 泣いたり、恋をして走るよみんな、せつない夢を抱いて。世界はあらかじめ壊れている。度を超えた残業を30年間くりかえしても家の一つも建てられない世界を壊れていないなどとは言わせない。リバーズエッジは切ない青春を描くと同時に、この壊れた世界を作った人達に怒りをぶつけているような、そんな気がしてならない。ぼくは世界をこんな風にこわして正常に機能しているふりをしている人を許したくない。甘いねキミと言うのだろう、うるさい!ぼくたちがも、この平坦な戦場で生きのびるためには何が必要か?人を愛するという事、絶望を超えるという事、生きていくという意識。優しさとプライド。祈り、光、続きをもっと聴かせてよ、岡崎京子さん。(しおみ)

過激すぎました、不快に思われた方いましたら、反省してます。


POP GOES ART! 1997.3月発行 POKET HONEY LABEL.CO

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