ちょいちょい日記・日々の泡 2

コラム、エッセー、回想など書いてみます。

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     車を買ったばかりの頃だった、眠れない夜だった、どうにも眠れない夜というものがあるだろう、そんな時はいくら寝ようとしても寝れない、僕は車の中で眠ったらどうだろう?と思った、車内は、まだ新車のニオイが残っていて、それなりに新鮮な気分だった、ではあったが、やはり眠れないのだった。

     家族はもう寝静まっている、僕は着替えて、そして深夜2時に車を出した。

     夜中に家族に黙って友達や恋人に会いに行く楽しさを僕は経験した事がない、きっと素晴らしい気持ちだろう、朝明けの星を見上げる家出少年の様な、新しい何かがはじまりそうな気分だろう、僕はきっとそんな気分で車を出したと思う、世界中で誰も知らない、ただ一人真夜中のドライブを楽しむ、それはそれなりに冒険なのだ。と思いたい。

     どうせなら知らない道をと思い僕は(僕の中では)遠出をしてみた、倉敷から水島そして瀬戸大橋の下から玉野へ抜けて、そして2号線を通って家に戻るコースだ、真夜中の広い道はたまにトラックが通るだけで、ほとんど貸しきりだった、工場地帯の明かりも、瀬戸大橋も、誰も見ていない寂しい信号も、今は僕のものなのだ!なんて思いながら流してみた、BGMはCDが2枚、小沢健二の「球体の奏でる音楽」と「シーアンドケイク」のベスト、その2枚が延々かかってた、2枚とも大好きなCDで、その夜のアトモスファーとでもうべきものを演出していた

    ♪夢で会えてよかったかもね〜

     いつまでも頭に鳴って行くフレーズ、その美しさ。読んでいるあなたには、馬鹿の空回りみたいに思えるだろうけど、僕はその夜は至福だった、バイパスを100キロで飛ばし、まだ夜明け前に家に帰ろうとしていた、不意に流れ星が現れた、それも、スーッって消えるはかないものではなく、大気圏に突入して物凄い光を放ちながら、火花をあげ分裂しながら、でも、地面に辿り着く事なく燃え尽きていく流れ星だ、僕が見た流れ星の中では一番大きかったと思う。

     夜明けにベッドに戻り、何も無かったかのごとく僕は眠りについた、その夜、僕がドライブをした事は誰も知らない、流星を見た事だって、神様だって知らない、そう考えると、僕は満足したのか、物凄く気持ちよく眠りについたのだった。

    01/02/06 PAGE TOP


    「ナツメグ」

     大学生の時、友達がこんな事を言った

    「ナツメグをな、一缶まるごとカレーに入れて食べたらな、トリップするらしいで、ナツメグって麻薬の一種みたいなもんなんて」

     なんて言う、当時、今よりも馬鹿で純粋だった僕は、ためらう事なくナツメグとカレーを買って、そして無理矢理食べてみた、ふつうなら躊躇するとこだが、僕は高校生の時に「美術手帳」で「サイケデリック」というものを知ってから、経験したくてしかたなかったのだ、おそらくセックスよりも興味があった、という訳で悪魔に契約書を書くように、僕はナツメグ満載カレーを食べた、まずかった、舌がヒリヒリして、カレーの味もない、ただハッカの強烈なやつを飲み込んでいる感じだ、とにかくなんとか全部食べてみた、気分が悪くなってきたが、これはトリップの前兆だ、と思い込んで、フトンをしいて

    「さあ来い!サイケ!」

     なんてワクワクしながら待ってた、まだこの時はそんな元気もあったのだが。

     しだいに身体が痺れて来た、とりあえず目をつぶって寝てみた、どんどん気分が悪くなって来てるのに、一向に幻覚は現れない、しばらくしていると、自分が宙に浮いている感覚にとらわれ、そして、瞼の裏になんか出て来た、それは80年代初頭のパソコンのCGみたいなしょぼーい光のフレームが現れては消えるというものだったが、それはしばらくして消え、そして本格的に体調が悪化した、とにかくもう息をするのもつらい、身体を動かすのもだるい、ただ頭痛と異常な倦怠感に襲われた、これはやばいと思った

     これは死ぬな…

     と思った、とにかく病院へ行く事にした。

     スクーターで夜中に病院を訪れた、だが、その夜はなぜか救急患者が多く、かなり待たされた、待ち合い室でももう世間がどこか遠い世界に思えた、毎晩こんなたくさんの患者が来るなんて変な病院だ、なんてぼんやり思った。

     で、やっと診てもらえる事になったのだが、若い男の先生で

    「はい、息すって」

     とかやるんだけど、そんな場合じゃないっての!でも、事実を言うのも恥ずかしいので

    「食中毒みたいなんです」

     とギリギリの事を言ってみた、すると眼鏡を直して先生が

    「気のせいじゃないですか?身体に異常はないですよ、はい、次」

     とか言うので、こっちは、もう死ぬって顔してるのに、やばいって思って

    「お願いです、せめて点滴だけでも打って下さい」

     と頼んだ、という訳で30分ほどベットに寝て、点滴を打ってもらう、この点滴のおかげで、いくらか異常な倦怠感は押さえられた、なんというか、「もう死んじゃいたいなあ」なんて思うくらい身体がダルくなって、息をするのも面倒だったのが、せめて息くらいはしなくちゃって思える様になったという感じだ。

     病院の帰りにコンビニで弁当を買う、帰って無理矢理弁当を食べ、食べるというより、つめ見込む感じだ、もう味なんて無い、ただ、これ喰わないとやばいって思いだけで食料を食べている。

     翌日からしばらく学校を休んだ、弁当食べて寝て、また食べて寝てのくり返しだった、頭痛はなくなったが、どうしても倦怠感がとれないのだ、あと味覚、これも一週間は麻痺したまんまだった、そしてトイレに行く度に頭が割れそうに痛かった、しかしその度に身体の中にある違和感が無くなっていくのが分かった、しばらくして、そのナツメグの話を吹き込んだ友達が来た、僕はあれから手が震えるようになってしまい、字も満足に書けなかった、それを見て

    「うわーっ、怖いなーっ!」

     と一言。

     全ての毒素が抜けるのに一ヶ月以上かかった、それまでは、身体はダルく、味覚もなく、トイレに行く度に苦しみ、手は震え、人と話すのもおっくうだった、それ以来、今でも後遺症として手は震える、これは仕方ない事なのだろう。

     後遺症その2、今でも二日酔いの時などに、ふと瞼を指で押さえると、瞼の裏に光の粒子みたいなものが幾何学模様をたえず変化させながら作り出す現象が起こる、しばらくすると消えてしまうが、僕はこれをプチサイケと言って楽しんでいる。

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    「日本廉価計画」

     三十路過ぎても独身、実家、職は無しというボンクラぶりだが、この日本って国自体もボンクラ化が進行している。

     今は2001年の3月だが、KSD疑惑で、ついに村上が逮捕され、その前には原潜が日本の船を沈めて、森の馬鹿は人が死んでるって時ものうのうとゴルフを楽しみ、そんな政府を国民の9割が支持していないのに、いまだ現存している、そんな駄目な駄目な社会が目の前に広がっている。

     それでは原潜の事故から言いたい事を言ってみよう、対米感情を逆なでしない様になどという甘えた言い訳をしているけど、人と人、そして組織と組織、国と国の付き合いなんてのも万国共通な筈だ、船を沈めた責任は米国にある、それなのに怖くて反論いぜんに、まともな報告すら出来ない

    「あの〜、…ボスの潜水艦がうちの船をひっかけて申し訳ないっす」

     って感じだろう、はっきり言って人間同士の会話ではない、飼い主と犬の関係だ!

     では本当に健全な関係はどうなのか、お前らに教えてやろうじゃないか

     「あの、アメリカさん、そちらの原潜がうちの船を沈めちゃったんだよ、まだ助かる可能性があるから捜索してよ、僕もこれからそっち行って様子を見るから、とにかく一人でも助ける事を念頭に置いてお願いします」

     って言うのが、大人じゃないのか、そんな当たり前の事が出来ないのから、ここから出て行きなさい!って思うのが普通でしょ、だけど奴らは何もしなかった責任をうやむやにして、いまだ威張ってる、馬鹿だ、どうしょうもない、人間が死にかけていても助けようともしない、それが政治なら、そんな政治は破壊すべきだ。

     そして、加藤の乱の時の話、どっかの幹事長が不信任案決議の前夜にとんでもない発言をした

    「否決した党員は離党してもらう」

     これは何だ!?おどしじゃないか!正しい民主主義ではない、公平ではない、人間としての人権を踏み付けてそれでも権力にしがみつこうとする、権力主義者の老人の傲慢でおぞましいエゴだ、こんな人間以下のあさましい畜生どもにこの国をまかせていいのか!いや、これは人間じゃないよ、犬の方がまだ裏切らないだけましだよ。

     とにかく、この国はそんな人間以下の単細胞生物によって支配されてる訳だ、もうめちゃくちゃだ、そしてもう一つ、これはもう、頭煮えくり返ったのだけど、森の馬鹿が辞めるだどうだって時の、また自民の狡猾どもの意見だ

    「高貴な位につかれた方なので、聡明な考えあると思うので、今はまだ決められません」

     なんだそりゃ??高貴?森の畜生が高貴か?大体位って何だよ!お前らは気付いてもないけどな、総理大臣なんてものは国のトップでもなんでもない、ただの公僕だ、僕らの召し使いだ、卑しい身分なのだ、そんな当たり前の事もしらないで好き勝手しやがって、そしてそれだけ権力にしがみつくあさましさ、上昇嗜好、汚らしいの一言につきます、いいかげんにしなさい、俺が総理になった方が絶対にいいよ!そんな考えさえ浮かぶよ!

     中島らもさんのエッセイに、目が覚める様な言葉があった

     「この国は先進国にならなくていい、日本なんてそのくらいの国なのだ」

     まさにその通りだ、無理をして踏み付けて歪ませて、で、先進国の名前だけ貰って、実際は世界一の借金大国だよ、そして社会構造も崩壊し始めている、一瞬の優越感の為に我々は働いていたのではない、その労働の上にあぐらをかいている自民党ももはや崩壊だ、崩壊すればいい、日本なんて崩壊した方がいいんだ。

     高橋良輔の「ガサラキ」では、米国に穀物モラトリアムをせまられた日本はどうするべきか?との問いに、三島由紀夫そっくりの人物がこう答える

    「日本はその狭い国土に穀物を植え、育て、そしてつつましやかく生きるべきだ、我々は大手を降って今まで登って来た坂を降りて行く時期なのだ」

     別に三島には何もこだわりは無いが、この意見は本当に素晴らしいと思う、我々はしてはいけない事をして先進国になった、だが、それはその器を超えた無理な愚行だった、だから緩やかに坂を降りて行くべきだ、その通りだ。

     「ガサラキ」は結局、米国が部隊を送って日本の脅威を削除しようとするが失敗し、穀物モラトリアムが解除され、三島ちっくな人が切腹して幕を閉じる、実に見事なラストだった。

     まあ何が言いたいのかと言うと、もう説明しなくても分かってくれるだろう、日本なんて国はたいした国ではない、先進国なんてならなくていい、勝たなくていい、それなりに自分のできる事をして行けばいいんだ、それが正しい日本再生の道だと信じている、そから方法は無い、絶対に。

     あるとしたら、それは、また敗戦だろう。

    01/03/02 PAGE TOP


    「日本女王様計画」

     内閣不信任案を否決されると分かってる時期に提出した野党に対しては

    「お前ら本当は自民の味方じゃないの?」

     などと嫌味の一つも言いたくなってしまうが、そんな肩ガックリの記事の後、ふと新聞をめくると、芸能欄に優香が載っていた、特に派手とも言えない服を着て、美しく微笑んでいた、その時、僕は思った。

     はっきりいって、野党のボンクラ連中なんかより、もちろん自民の人間以下の猿なんかより、もっとも美しく、正しく輝いているのは女の子なのではないか?

     正直な話、僕は政治家の誰をも支持しない、だけど優香なら支持したい、そう思った、自信に満ちあふれ、輝いている、別に優香でなくてもいい、世の中は美しい女性が統治するといい。

     だって、優香が総理大臣になったら、誰も悪い事しないでしょ、少なくとも今よりはまともになるばずだ、日本は天皇制を辞めて、女王制にしたらいいと思う、醜い四角い顔面の馬鹿じじいが首相やってても、誰も応援はしない、どうせなら、美しく若く輝いている人に首相をやって欲しい、難しい事はわからなくていい、それてくらいで日本の政治なんてちょうどいいと思う。

     先日、自主制作の映画の上映会に足運んだのだが、抜群に面白いのは20代の女性の作品ばかりだった、ところが、その女性達が結婚し30代になると、もはや映画も見ないくらい退化してしまうのだ。

     政治うんぬんの問題ではない、男性が、いや、社会が、その普遍性の名のもとに女性の才能の芽をつんでしまってるのだ。

     僕はフェミニストではないが、今の日本のじじい連中が構築している社会は絶対に破壊すべきだと信じている!女性が中心の社会にしたいのかというとそうでもない、もっとバランスのいい社会、見通しのいい世界にしたい、そして、女性にこそ、もっと社会での活躍を期待したい、僕はそう思っている。

     そう思っているからこそ、僕には彼女が出来ない、そんな革新的な女性が育っていないのだ、もしそんな女性がいたら、ぼくらは瞬く間にロマンスも落ち、結婚するだろう、幸せでごめんね!なんて言うだろう。

     それは夢なのか?いいや、夢にはしない、俺がさせない、目を覚まそうぜ、コネコちゃん!

    01/03/05 PAGE TOP


    「おおいわくんの岡山弁」

     岡山弁は汚い、「ぼっけえきょうてえ」の世界である、語感が汚い、「じゃがん」だの「おえんのう」だの訳が分からない、排他的で粘着質で派閥を好む県民性を反映している、広島弁になるとそれにさらに「仁義なき戦い」のドスの効いたヴァイオレンスが導入されて、陰湿な感じはしないのだが、岡山はいけない、ドロドロです、もう30年も岡山にいるけど岡山弁だけは恥ずかしくて使えない、なんか汚い感じがするのね、まあ嫌いなんです。

     ここで中学校の時のクラスメイトのおおいわくんの岡山弁に注目してみよう、おおいわくんと一緒に下校していた時だ、前から犬を散歩させているおばさんが来る、犬は茶色いダックスフンドだ、それを見ておおいわくんが岡山弁でこう言うのだった

    「ああっ!足のみじけえチャウチャウじゃあ!」

     またある時、これも下校中だったが、子供が小川で釣りをしている、いや魚穫りだろうか、バケツの中にはメダカを少し大きくしたぐらいの小魚が一杯いる、それを見ておおいわくんは子供に話しかける、普段おおいわくんは子供に話し掛けるような人ではない、そしておおいわくんは魚を指差してこう言ったのだ

    「ぼく、これ鯉言うんよ、食べられえ」

     ……まあ。

     おおいわくんの岡山弁が決して悪い訳ではないのだが、やはり岡山弁は駄目でしょう、ちなみにおおいわくんだけの責任ではない、大学の時に聞いた話だが、彼の女友達が呉服屋でバイトをしたらしい、それで彼が女の子に質問をした「どうなん?」って、すると彼女は言ってはいけない事を言った、「おばあさんばっかり来ます」という意味なのだが、岡山弁だとこうだ、聞いてくれ

    「ばばあばあくる」

     僕はこの話を聞いた事を激しく後悔したよ。

    01/04/25 PAGE TOP


    「ひとりあそび」

     子供の頃からひとりで遊んでた 悲しい事はなにもない

     ムーンライダーズの曲の中の一節だ、これを聴いた時には「まさに」と膝を打ち、すこし痛い感じがした、僕は昔からひとりで遊んでいた、ひとり遊びが好きなのだ。

     ベットを宇宙船にみたてる事も出来たし、潜水艦に見立てる事もできた、子供には大人の出来ない事が意外とできるものなのだ、だけど子供はいつか大人になってしまう。

     大学の時、一人暮らしをしていた、僕には友達がいなかった、授業が始まる前には、誰もがグループを作って楽しく歓談をしているのだが、僕はいつも一人で座っていた、何もなかった。

     コンパに行った時も、やはりバブルのあのムードにどうしても馴染めず、そういえば、背の高いメガネの女の子を部屋まで送っていったな、道は真っ暗で彼女は自転車を押していた、闇にカラカラと音がしていた。

     「わたし、Jくんが好きかな、昔好きだった人に似てるの」

     「ふーん」

     それだけだった、まあ、僕もイニシャルはJなのだが、僕の大学生活での女性とのかかわりはそれだけだと思う、話がそれたので元に戻す。

     部屋にいつも一人でいる訳だ、サンテレビのアニメの再放送を見たり、スクーターで近所をグルグルまわったりしていた、何もする事がなかった、そんな時に、また僕のひとりあそびが復活したのだった。

     壁に紙に「生まれたからには生きてやる」とかそんな事を書いて張り付けた、それから「ひとり笑い」をして楽しんだ、これはNHKの集金人しか訊ねてこない部屋のドアを見つめて自虐的に笑いはじめる、だんだんヒステリックに笑いつめ、最終的には嗚咽するという行為だ、はたから見ても気狂いだと思うし、僕もあまりの孤独に精神を病んでいたのだと思う、そんな事でしか感情をぶつける事がなかった。

     ちょうどバブル末期、国民は国をあげて馬鹿騒ぎをしていた、誰もが刹那的に生きていた、僕はそんな世界を拒絶していたのだと思う、モラトリアムの極地ともいえる場所にひきこもっていたのだった。

     結局、僕のひとりあそびは宅録に向かった、安い機材でモラトリアム満載の曲を乱作した、誰に聞かせる訳でもなく、ただそれしかする事がなかったのでしていた。

     あれからもう5年が経つのだが、今も状況は全く変わっていない、どこの職場でも役にたたず追い出され、社会不適格者として実家の二階にひとりでいる、電話は誰からもかからない、遊んでくれる友人もいない、何もない。

     そんな中でやはり僕はひとりあそびをしている、ひとり駄文を綴ってはネット上に公開している、誰が読む訳でも無い孤独で下らない文をひたすら書いている、これしか出来ないからだ、これで生きていける訳は無いのだが、僕にはこれしかできない、今したい事をしようと思う、人生やりたく無い事をやってもしょうがない、これだけ好き勝手やって来た人生なのでここらで急に途切れても文句は無い、「明日死ね」と言われても納得するだろう。

     誰かが書いてたな

     

    「男の情熱は女には絶対に分からない けど それはたき火の様で わたしはただ手をかざしていたいだけ」

     男はやっぱり死ぬまでひとり遊びを続けるのだろう、男と女は決して交わる事はないと言う、だけど、その情熱のたき火を接点に寄り添えるくらいの関係でいられるなら、僕は君といたい、死ぬまで。

     次元大介もいい事を言う、ルパンに煙草をくわえさせながらこう言った

    「そうだな、お前は生まれつき贅沢な奴だったな」

    01/05/05 PAGE TOP


    「戦争という区切り」

     選挙の仕事をして分かった事がある、選挙にかかわる人は戦争を体験した世代が多いという事だ。

     いや、そんな事は問題ではない、本当に凄いのは、戦争を体験した人達が凄いと言う事だ。

     選挙といった、一種戦場的にばたばたする事態になると、人間性というものが如実に見れてしまう、ふだんいばっててえらそうな事ばっか言って、女の子とキャアキャアやってる広報の奴なんて本番になったらただのゴミだった、仕切る事すらできないんだもん、あきまへんわ。

     そして、僕が仲良くなったのは、戦争を体験したおじいちゃんばっかり、みんな、芯があって、本当の事を知ってて、それでいてどんな状況でも仕事を楽しんでる、どんな状況でも明るくて、でも反権力で、正義の為に、情の為に動いている、汗をかいてもいつもにこやかで、決して弱音を吐かない、僕は惚れてしまったよ。

     ただ、僕が言いたいのは、本当に善良な市民が戦争の名の元に気狂いになって行く、そして自分の肉親が原爆に焼かれて死んでしまう、そんな状況を原体験に持つ人達の魂の美しさにはもう惚れるしかないでしょ。

     戦争がどうだったかは知らない、ただ、戦争するんだったら、俺が死んだ後にしてくれ。

     戦争を体験してない僕はそんな甘い事を考えている。

     僕は、この国が好きだから、また戦争になって欲しく無いから選挙運動に燃えた、この国はまたレイシズムに包まれようとしている、そんな気がしてならない、僕はそんな世界はまっぴらだ。

     僕は僕の好きな彼女(いないけど)とデートしたい、そけだけの為に闘ってる、その闘いに誇りを持ってる。

     選挙が終わって、おじいちゃん達は僕に言った

     「また、会おうな」

     「俺達は戦友じゃなあ」

     なにが正義かなんて関係ない、僕とじいちゃん達の前にはひたすら気持ちのいい風が流れている

     僕も彼女(いないけど)を愛して、そしてかっこいいじいちゃんになりたいと思っている。

     これだけは経験してもらわないと分からない気持ちよさかもしれない。

     ただ、魂は繋がっている、そして気持ちのいい風が吹いている。

    01/08/06 PAGE TOP


    「ラブレター(改)」

     ネットの世界はタイムカプセルみたいなものだと思う

     だから俺は今の俺の気持ちを残していたいと思う。

     ねえ、もしこれを読む事があったら、あの夏の俺を思い出して

     俺はこんな事を考えて生きてたんだって

     選挙が終わって、しばらくしての事だ。

     「しおみくんはがんばってくれたから特別に手当てを出すでえ」

     なんて電話を貰って、ありがとうございますなんて答えた。

     俺はがんばってなんかいない、みんな勘違いをしている、俺はがんばるつもりなんてなかった、むしろ、事務所のやり方に反発してた、子供みたいにふくれて何もしなかった。

     そんな時に彼女が現れた、俺は

    「ついに出会ってしまった」

     なんて思った。

     彼女は自分の力でどんどん友達を増やして状況を変革して行った、もの凄いスピードだった。

     惚れた

     そうとしか言えない、こんな凄い女の子に出会ったのは初めてだった、衝撃だった。

     彼女はまるで絶望の暗黒の中で輝くちっぽけな星だった、僕はその光を目指して泳いだ、彼女は意味不明なほど強く燃えるたき火だった、僕はただ手をかざしていただけだった、それだけでも幸せだった、俺も彼女みたいに走りたかった、いや考えるより先に走った、どうにか彼女と同じ道を一緒に走りたかった、それで一緒に微笑みたかった、もしそうなったら死んでもいい、本気だった。

     だけど駄目だった、僕ががんばればがんばるほど彼女とは疎遠になった、道はどんどん違う方向に向かって行った、僕は切なくて気が狂いそうだった、その気持ちをどうにかねじふせる為に僕は必死で動いた。

     ただそれだけだ、僕には何もない、ただ彼女と同じ道を走って微笑みたかっただけだ。

     全ては終わって、結局僕は彼女に自分の気持ちすら伝えられなかった、ゴミ屑だ、俺なんて。

     そういえば今日は久しぶりにバンドの練習がある、俺は歌を歌いたい、いつか彼女に聞かせたい。

     その彼女は遠恋してて、いつ岡山を離れてしまうかわからない。

     本当に、奇跡みたいにはかない片思いをしている、けどそれでも俺は幸せだ。

     俺は生きてて、大好きな人も生きている、それだけでいいじゃないかもう。

    01/08/08 PAGE TOP


    「ラブレター2」

     猫っていいよねえ

     可愛くてさ

     急に甘えたりして

     ふいにどこかえ消えたりして

     やせてて

     身体はいつもピンッて伸びてて

     それで手におえないの

     抱こうとしても

     ぷいっ

     って逃げちゃう

     だけどその後ろ姿だけ見てるだけで

     もう幸せだね

     猫はいいよ

     赤ちゃんみたいでさ

     太陽みたいでさ

     猫に甘えられたらな

     いいのになあ

    01/08/18 PAGE TOP


    「いい声」

     話の発端は石立鉄男だ。

     なんかぼんやり思い出していて「ドッキリ天馬先生」って石立がドッペルゲンガーを怪演したくだらないドラマがあったなあって思ってたら、いろいろ石立鉄男のドラマが記憶に蘇って来た

     世間的には「チー坊」の「水もれこうすけ」が最高傑作らしいが、僕としては、なにはともあれ最高傑作は「気まぐれ天使」だ、実際いいドラマだったし、絵本作家を目指しているが今は下着店の営業をしている石立の元にヒッピー娘と痴呆のフリをしたばあさんが転がり込むって展開が凄いんだけど。

     今思えば石立もドラマもどーでもよくて、ただ、あの主題歌が凄いって事だけが残っている、当時小学生で、まだビートルズも分からなかったガキの頭に突然、あの声が入って来た、声が身体に入って来るって事を初めて体験した瞬間でもあった。

     その声の持ち主はそう、小坂忠だ、元エイプリールフールのボーカルで、ティンパンアレーをバックにいなたいソウルを歌ったあの伝説的シンガーだよ、子供心に分かった、この声は凄い、これはビートルズなんて超えてるって。

     優しくて、おおらかで、包容力があって、どこか悲しみにつながってる声、僕はそんな小坂の声が大好きだった、生意気な小学生だなあ。

     次に、そんな声に出会ったのは「宝島」っていうアニメの終わりの歌だった、これはいい、これはあの声に似てる、なんて思った、その後、その声の持ち主とは、その後、角川映画で再会する。

     「野生の証明」だ、ケンさんが死にかけの娘(薬師丸ひろ子)を背負って、自衛隊の戦車に銃を向けるラストシーン、くぅあああ、かっこいい!かっこいい!そんなかっこいいシーンで流れたのがあの声だ。

     ♪ ありがとう〜 ぬくもりお〜

     安原よしとだっけ?ちがうか、町田よしとだ!これにはヤラレました、またあの声が聴けた!って嬉しくて、嬉しくて。

     まあ、小坂にしろ、町田にしろ、70年代のソウルミュージックの影響をモロに受けたのだろうけど、そんな事はどーでもよかった、ただ僕はあんな「いい声」が聞きたかった。

     そして大人になって僕は「いい声」を求めてレコードを買い漁った、音楽を愛しているシンガーは必ずいい声をしている、もちろん、愛を失ったシンガーは魔法が溶けたみたいに駄目な声になってしまう、そんな事も分かった、僕はきっと「愛」ある「声」を求めて、死ぬまでレコードを買うのだろう。

     つまりは僕は「愛」を探しているのか?話の発端が石立鉄男というのが信じられないが。

    01/08/20 PAGE TOP


    「自転車に乗って」

     自転車に乗ってベルを鳴らしい〜って高田渡の名曲があります。

     僕も大好きだけど、自転車って生活の匂いしますよね、疲れるし、暑いし、寒いし、足は痛いし。けど、なんか生きてるって実感があるじゃないですか。

     自転車に乗って今日も近所の本屋に行って立ち読みをしたのです、思えば僕は自転車に乗って本屋に行く生活を生まれてこのかた延々と続けている。

     中学生の時には自転車でどこまでも行った、日曜日となると20キロ以上離れた映画館まで行き、そして「ブレードランナー」とか「ターミネーター」なんかを見に行ってた。

     「ブルーサンダー」というヘリコプターアクション映画の同時上映がなぜか「イージーライダー」で、中学生の僕にとって「イージーライダー」はホラー映画みたいだった、どうしてこう気色悪い画面が続くのか、ラストで「農家のオヤジに「害虫駆除」とばかりにショットガンで撃たれて、炎上するバイクを空撮」なんて無常なラストには「映画のラストは楽しくなけりゃいけないのに、なんじゃこれは??」と疑問、みなさん中学生に「イージーライダー」見せても駄目っす。

     大学の時には実家に帰ると自転車に乗って本屋へ行った、「マックスウェルの悪魔」なんてこ難しい本を訳も分からず立ち読みしていた、自転車に乗ってる時は人は孤独だ、僕には友達も話し相手もいなかったので、自転車に乗る孤独にはいくらか免疫が出来ていたのかも知れない。

     いや、それは嘘だ、僕は自転車に乗っては、いつか出会うはずだろう架空の友人(彼女)に話し掛けていた、ひとりあそびだったのだ。

     そして家に帰れば、誰も読む事のない自慰的な小説を書き続けていた、うーん駄目人間(Cオーケン)。

     そうやって僕は元祖ひきこもりとして活躍を続けていたのだ、活躍ではないわな。

     それから10年の時間が過ぎた。

     結局、僕は自転車に乗って本屋に向かっている、しかたないかァ。

     オーケンの「グミチョコ」で、主人公が自転車に乗ってサブカル映画をひとり見に行く場面がある、主人公は自転車をこぎながら自問自答している

    「教えてやるよ、お前は生涯絶対、誰にも愛される事はない!」

    「なぜなら、お前は駄目だからだ、お前はクズだからだ、一生一人だ!」

     でチェーンがはずれるのだけど、僕はこの自虐的な場面が好きだ、なぜなら全く同じだからだ、君にも身に覚えがあるだろう、ヒリヒリするだろう?

     だから好きなんだ、悪いのか?悪いんだろうなあ、きっと。

     人と交わるのは嫌いではない、ただ人とベタベタ遊んでる暇があったら、本読めよ!映画見ろよ!レコード買えよ!と僕は思う、そんな人間なのだ。

     こんな事かいたらますますモテから遠ざかるのだが、しかたない、今日も僕は一人自転車に乗って走る。

     どこへ?知るか!本屋だろ、多分。

    01/08/20 PAGE TOP


    「鉄塔」

     少年は鉄塔を目指す!

     んな訳ないが、さっきビールを買いに行く途中に、近所の団地の鉄塔に久しぶりに登ってみた。

     街が一望できて、新幹線もJRも見えて、なんだか、「世界は俺のもの」、なんて大きな気分になって大変楽しめた。

     中学生の時、塾に行く意味が分からなくなった僕は、この鉄塔に登って時間を潰した、鉄塔からの景色はいいし、僕はひとり鉄塔の上でいろんな想像をして、それで、塾が終わる時間に家に帰った。

     別に塾が嫌いな訳ではなかった、生きている意味とかが全く分からなかったのだ、まって欲しい、時代はバブルのまっただなかだ、僕らはなんとなーく生きていて、しかも生きるという根源的な意味すら誰も教えてくれない、いや、学ぼうともしないガキだった。

     塾はそれなりに面白いものだったが、やはりなぜ塾に行くのか?という意味が最後まで分からなかった、これは母親の立場になってみないと分からないのだろう、塾に行ったところで成績がよくなる訳ではない、塾の先生には

    「君はもっとレベルの高い学校に行くべきだ」

     と言われた。

     実際のとこ、塾では優秀だった僕も、義務教育では中の下だった、そこらの違和感は、もはやどうしようもなかった、僕は結局適当な進路に決めてしまった。

     まあ、それはいい、塾なんてものは所詮ビジネスだから。

     さて、鉄塔だ、その鉄塔に登ると生活が見えてくる、街の明かりが見渡せて、ああ、みんな幸せに生きてるんだなあって思える、この明かりの一つ一つに愛と憎しみがぶつかってるんだなあって、そんな気分になる、まるでちょっと神様になってみたいな感じ、偉そうでごめん。

     いつか、大好きな女の子と一緒に鉄塔に登ってみたい、それで

     「いいでしょ」

     なんて言ってみたい

     「フリクリ」で毎回出てくる街の俯瞰図みたいで、さぁ、何かはじまるぞって感じがする。

     「わたしは慎吾」では、まだセックスできない少年と少女が、それでもセックスをしようと思いたったのは、東京タワーに登ることだった、あのとてつもなくワクワクする、それでいてセクシャルな展開には誰もが驚いたろう、だけど、セックスなんてどーでもいいの、二人で登る、それだけで何かもう引き返せない熱い感情が噴出して、もう止まらないじゃない、好きだって!好きだって!

     やっぱ男の子は鉄塔に登るのよ、女の子はよく分からないけど、それについて来て  それで二人で一緒に見るんだよ

     僕の後を彼女がついて来て、それで一緒に風景を見れる、男の子にとってそんな至福の時はないよ。

     もちろん、女の子には、絶対に分かってもらえないだろうなあ、でも

     ボクハキミガスキ

    01/08/25 PAGE TOP


    「低い声の女」

     深夜の電話で、受話器の向こうから、暗く重く低く敵意のこもった声がする。これは「女」の声だ、

     ゾッ!

     とした、言葉は少なかったが、ドロドロとして得体のしれない情念が伝わってきた、「女」は怖い、そう思った。

     それは、例えば三角関係が崩れて、彼氏に露骨に避けられている女の子が、毎日毎日彼氏の家に電話をする、当然留守番電話になっている、彼氏は部屋の電気を消して電話の音を恐れている、またかかる

     メッセージをどうぞ、ピー

     の後に彼女の声が聞こえる、それはいつも明るくて友達とじゃれている時とはまるで違う、低く、暗く、重く、こう言うのだ。

     「いるんでしょ、分かってるんだから…」

     そういったたぐいの電話だと思ってくれればいい、だが残念ながらそれは恋愛とは無関係なただのクレーム電話であったのだが。

     宮沢章夫の「分からなくなってきました」では「女について」というコラムがあり、それによると、小津安二郎は「女」を意識させない女優として「原節子」を選んだ、だから「原節子」は小津の美学でコントロール出来た。対して今村昌平は「女」を意識させる「女優」を「女」に恐れおののきながら演出している、だから描かれる「女優」はまさしく「女」だ。

     宮沢氏は、女の本質を知ったら最後、たまらない思いをさせられるか、ひどい結末を迎えるかどちらかだ、そこに「女」の魅力があると思う。と書いている、残念ながら同感だ。

     ふだんから、フェミニズムだのジェンダーだの言ってる僕だけど、やはり「女」の持っている渾沌とした情念は男には無いと思っている、男の情念はもっと純真でストレートだ。男の情念を声にしても怖くはない

     「ぶっ殺すぞゴルアッ!」

     とかそんなもんだ、男の情念は重くも暗くも低くもない、しかし女は違う、などと言うとまたフェミニストの方に怒られそうなので、いくぶん考えてみた。

     つまり、「女」を意識させる「女」の持つ情念だ、「女」である事を利用して、犬のように媚びを売り、役に立たなくなったら手のひらを返す「女」、恋愛や人間関係が過剰で、常に愛されていないと不安な「女」。訳の分からない情念を持ち、ふてぶてしくて美しくて、居座って自分のものにしていく、そんな「女」に僕は恐怖する、大嫌いだと言ってもいい、ああ嫌いだ。

     僕は自分が「女」に近い「男」だと思っているので、仲良くなる女性はいつも「男」に近い「女」だったりする、不器用で一生懸命で媚びたりしないで、いつも自分を保っている、怒りっぽくてたまに気まずくなるけど、すぐに忘れている、つまんない事で悩んで誰にも相談できないでいる、僕は可愛いと思う。

     なんというか、そんな友情と恋愛を行ったり来たりしてる感じで付き合えたらいいのになー、なんて思う、そんな女の子を何人か知っている、僕は幸いだ。

     だが、「女」の情念を持った「女」中の「女」にひっかかってしまったら、僕も破滅するだろう、こればかりは多分DNAレベルの問題だと思う、そういった「女」の情念にひっかかってしまいたくなるのも、また「男」の可愛いとこなのかも知れない、谷崎しかり、ナボコフしかり。

     そんな「男」と「女」の破壊と再生の悲しいドラマが、今日もくり返されている、それはずっと続くだろうなあ。

     僕は、もう2度とあの、低く暗く暗黒へ足をつっこんだ声は聞きたくないなあ、それは災難みたいなものなので、もう、避ける様努力するしかないですね。

     「女」の情念を人生かけて描いた増村保増って映画監督がいました、「男」のみなさん、見ないほうがいいです、見たら最後、「女」の怖い怖い情念のとりこになってしまいます、僕は好きなんだけど、それは宮沢氏も言う通りに「怖いもの見たさでついつい」といった感じなんですが。

    01/08/29 PAGE TOP


    「血液型問題」

     掲示板で血液型の話でモメた、血液型で人を判断してはイケナイという方がほぼだったのだけど、僕は血液型というものは、自己形成に当たって大変重要に関与していると思う。

     そういえば、この前、海を見ながら話したのは血液型の事だ。

     「A型でしょ」

     「なんで分かるんですか」

     「だって同じだから、僕もAだし。それで好きな人はBでしょ」

     「そうです」

     「やっぱりな」

     「Bって、自分に持ってないものを持ってるんです」

     「でも、同性のBって苦手でしょう」

     「あー、もう、考えない事にしてます」

     「Bの人って、なんか、変わってて、一つの事をずーっと延々やってる」

     「……やってますね」

     「で、友達はOが多いでしょ」

     「多いです、なんでですか?」

     「ほんと、なんでなんだろうねえ」

     この恐ろしいほどのシンクロに、僕はやはりな、とも思った、血液型で人の性格を決めるのは傲慢だと思う、だけど、僕や彼女のような性格の人間が人間関係を形成すると、やはり血液型の比率がそうなってしまうのだ、それは個人的に君はAだからアレだね、というものではない、こういう性格の人には、このタイプのBを必ず好きになる、それは、もはや自分の運命すら超えた「性」みたいなものだろう。

     だって猛烈に求めるのはいつもBの女の子なのだ、そして、会話の糸口すら見つけられず彼女は去って行く、友達にもなれない、ただすれ違っていく、いつもそれだ。

     紋きりしないで考えると、僕はB型のそういうタイプの女の子が好きで、もちろん、Aのこういうタイプの女の子も好き、Oのこういったタイプの子となら結婚してもいい、ABのあの子ならうまくやっていけそうだ。という事、血液型というものはあくまでも曖昧な境界線であって、それで仕切る事は出来ない。

     血液型で人を判断してはいけない、けど、人間関係をうまく形成するにあたって、おおまかな基準になるだろう、だから僕は血液型にこだわる、俺だってみんなと仲良くしたいし、苦手に人とは距離を置いていたいし、それは傲慢ではないと思う、生きる為の知恵の一つだと思う。

     A型はきっちりして、群れるのが好きと言われてるが、僕はおおざっぱで、みんなで遊びに行くより、ひとりで本でも読むのが好き、A失格ですな。で、僕が好きなのは、みんなと遊ぶのが好きで、いつもみんなの中心にいる人(群れてるって意味)、なんでなんだろうねえ。

     「それは、自分に持ってないものを持っているからですよ」

     あー、そうなんだ。

    01/08/30 PAGE TOP


    「駅がひとつ燃えた」

     大阪の西成という地区をご存じだろうか、ここは日雇いの労働者や、事情があって家に帰れなくなった人達が流れ着いてくる町だ、渾沌としていて猥雑で、でも生命力があって、無政府状態で、それでいてなにか緩い目に見えなルールに元づいて動いている、まあ、一言で言うと滅茶苦茶な町だ。

     僕が大学生の時に、西成で暴動が起こった、もう覚えている人は少ないだろう、テレビを付けてたら凄い映像が目に入った、西成の警察の前で車が壊されて燃やされていた、自転車をかかえたおっちゃんが警察に向かって投げ付けていた、今から電車に乗って見に行くのもいいな、なんて御飯を食べながらのんびり思った。

     翌日、大学の友人のゴウちゃんが興奮した声で、こんな話を持ちかけた

     「行こうよ、西成、ビデオ撮ろうよ!」

     ゴウちゃんという人は、学生運動にあこがれて、自作の赤ヘルまで作って「ナンセース!」なんて言う人だった、URCフォークのCDを山ほど持っていて、僕は酒を持って行っては気に入ったCDを貸りて帰る、という仲だった。そんな彼にけしかけられて僕も調子に乗ってしまった、これでドキュメンタリー作品を作るぞ!なんて思ってたのかも知れない。

     そんな二人は阿倍野まで電車で出て、そこから御堂筋をぼんやり歩いていた、もちろん片手にビデオカメラを持って、ところが、もう6時になるというのに暴動の気配もない、町は何もなかったかのごとく通常に機能している、今日は暴動は無いかもなあ、なんて思ってた頃、ゴウちゃんが叫んだ

     「一人決起だ!」

     見ると、おじさんが一人で駅に止めてある自転車を道路を投げ出している、するとまわりで酒をくらってたおじさん達がわらわらと出てきて、自転車を投げていく、あっという間に御堂筋は寸断されてしまった。

     町の空気は一気に変わり、怒りと同時に祭に似た高揚感を楽しんでいるような労働者達が、西成の警察署の前に集結して叫んでいる、そんな様子を遠くからながめていた僕らだったが、不意に声をかけられた

     「あそこの柱の男、耳につけとるやろ、あれ刑事やで」

     人のよさそうなおっちゃんだった、ゴウちゃんは「学生の立場から、この暴動の実態を是非撮影しようと思い…」などと説明をする

     「よっしゃ、わしが前まで連れていったる」

     で、そのおっちゃんが本当に暴動の最先端までかきわけて進んで、ぼくらはその後を進んだ

     「ほら、撮りや」

     で、僕は隠していたビデオカメラを出すと、労働者の人垣の間から警察前の様子を録画した、ほんの数秒だと思う、血相を変えた大声が僕にそそがれた

     「おい!こいつカメラ持っとるでえ」

     「スパイやないか、サツや、こいつ」

     「おい、捕まえろ!やったれ!」

     殺気立った声が次々と襲う、僕はすでに逃げ出しながら

     「学生です、違います、僕らは学生です」

     そんな反論など無駄だった

     「逃げたでえ、捕まえろ!」

     僕はビデオかかえたまま労働者に追いかけられた、殺される!マジでそう思った、しばらく必死で逃げていたら誰も追いかけなくなった。しょんべん臭い路地の明かりの下まで逃げた、逃げきれた。その時はじめて気付いた

     「あれ?ゴウちゃんは…」

     そう、みんなゴウちゃんを囲んでしまったので僕は逃げ切れたのだ、ゴウちゃんはどうなったのだろう?戻るのも怖いので、しばらく外灯の下に立っていた。しかし一体どうしよう…と不安に考えていると、さっきの僕らを先導したおっちゃんが現れた

     「すまんなあ、こんな事になるとはなあ、もう一人の子は大丈夫やで、もうすぐ連れて来たる」

     そう言って闇に消えた、しばらくしてゴウちゃんが笑いながら現れて例の調子で喋った

     「いやぁ、まいったよ、でも、みんなこっちがちゃんと説明したら分かってくれたよ、それなら最初から言えば撮らしてやったのに、とか言われたよ」

     「しかし、ジョーはひどいよ、見捨てて逃げるんだもん」

     などと言いつつ、ちっとも怒っていない様子なので安心した、結局カメラは危ないという事でコインロッカーに入れ、今度は少し離れて暴動を見ていた。

     交差点に労働者や近所のヤンキーが集結し、暴徒が駅の売店に押し入り、商品を強奪していた、ガラスが割れ、誰がつけたかしらないが煙がたちはじめていた、駅はやがて炎が吹きだしはじめた、いよいよ始まったと思った。

     僕はフラフラと誘われるように暴徒の中に入りかき分けて、最前列に出た、機動隊に石を投げ付けながら絶叫している労働者がいた、誰もが怒りと興奮に包まれていた、これだ、これこそがアナーキーだ、パンクロックだ、退屈な日常を破壊するロックな出来事だ、僕も興奮していた、もし誰かが石をくれたら投げ付けていたかもしれない、実際投げたいし、まあ投げなかったけど。

     再び暴徒から離れてゴウちゃんを探すと、彼は血相を変えて阿倍野の方を指差した、そこにはジュラルミンの盾を持った機動隊が早足で道路を横一列でこちらに向かって来ているのだ。

     「サンドウィッチだ!逃げよう」

     ゴウちゃんが専門用語を言いながら走りだした、地下鉄の駅に入ればなんとかなると思って、慌てて地下鉄へ続く階段を降りた、が、暴動のため地下鉄は封鎖されてシャッターが閉まっているのだった。

     どうしよう、どうしよう、結局、落ち着いて、関係ないよって感じで機動隊と通り過ぎればよいのではないか、という結論になり、僕らは何気ない顔で阿倍野まで歩いた、心臓はバクバクだった、が、機動隊は僕らの事は眼中になく、暴徒がうずまく交差点へと向かっていく。

     助かった。

     その後は、怖くて現場に戻らなかった、僕らは黙って電車に乗って帰った。

     その時に撮影したビデオはもはや僕は持っていないのだが、かなり生々しかった、友人に送りつけたところ

     「みんなで見たけど、唖然としたよ」

     なんて言われた。さて、「駅がひとつ燃えた」というのは、その数日後、ゴウちゃんが僕の部屋に来てギターで作った曲のタイトルだ、これでこの話は完結する。

    01/09/04 PAGE TOP


    「アンテナ」

     とあるアメリカのカルトなロックバンドのビデオを見た。

     単純にかっこいいし、いい曲だし、なかなかいいバンドだ。だけどそのバンドの名前を伏せて書いているのには訳がある。このビデオはそのバンドのビデオクリップ、TV出演した全ての映像、ライブ映像、海賊版ビデオ映像など、バンドに関わるありとあらゆる映像が6時間に渡って編集されている、まさに入魂の作品だし、ファンならもう喉から手が出てしまうくらい貴重なものだろう。

     僕は物事を常に拡散させて楽な方へ楽な方へとふらふら生きている人間だ、ひとつの物事には絶対に固執しない、駄目な事は駄目だし、死ぬ人は死ぬのだ、そう割り切ってなんとなく生きている。

     そんな僕にはアンテナがある、ここまでだ、ここから先は入ってはいけない!そんなアンテナが鬼太郎みたいにピンと立ったのだ。

     心が弱くてちよっと頭のいい若者は、マスに受けている文化よりも、より知的で危険な文化を好む、そうやってサブカルチャーというものは滅びないで生き続けている。だが、その先に罠があるのだ。

     高校生の僕の話をしよう、17歳の夏に僕はムーンライダーズというバンドと出会う、それは衝撃的な音楽だった、知的で実験的でたまらくポップだ、クラスに友達がいない僕はムーンライダーズを聞いてなんとか自分のプライドを保てた、生きて行く意味はまだ分からないけど、自分の位置を知る事が出来た、何もかもが開いた感じがした、僕はムーンライダーズのレコードを全部買った、買う金が無いので万引きしてまでした(時効って事で…)そして、どんどんのめり込んでいった。

     ライダーズファンのコピーバンドを発見して、そのまわりにどんどんライダーズマニアが溢れて来た、その人達と交流もした、だけど、その人達はライダーズの話しかしない、僕はしだいに退屈になり、ブルーハーツとかフリッパーズギターに夢中になっていったのだけど、ライダーズファンの人達は相変わらず時間が止まっているみたいだった。

     僕のアンテナはその時立ったのだった、ここから先は知的でもない、逆に後退していくだけだ。

     僕はムーンライダーズは今もリアルタイムで好きなのだが、やはりファンは苦手なのだ、これはパラドックスなのだろうか、いいバンドであればあるほどファンが閉鎖的でカルトな世界を作ってしまう、そしてファンの間で内ゲバが起きたり、ファンとバンドが交流を持つ事でファン同志の確執が起こったりしてしまう。

     僕はそれを知っているから、このビデオの入魂の編集には、感動と共に一方的な愛の様に理不尽で怖い感触を持った、そしてアンテナが立ったのだ。

     ここから先は、もう入れない。

     作家の吉本ばななさんも、オカルトや宗教を扱うためにいろんな人を取材したけど、やはり「アンテナ」にひっかかる人がいる、それは直感としか言いようがないけど、そのおかげで際どいとこをくぐり抜けてこれた。と言っている。

     本当に音楽を楽しみたいだけなのに、好きなバンドの名前も書けない。

     これが文化というものか?

    01/10/31 PAGE TOP


    「アフガン問題に対する01/11/30の考察」

     テロが起こりアメリカがアフガンに空爆し、日本では自衛隊がいつの間にか派遣され、アメリカでは炭疽菌騒ぎが起きた、世界の先進国はアメリカに同調し、顔色を伺い空爆に参加した。

     空爆は一般市民を巻き込み、たくさんの地雷と不発弾をアフガンの大地にまき散らした、アフガンの難民は逃げる事すら出来なくてく、不発弾と地雷の中で必死に生き延びた。

     北部同名がタリバンを制圧し奪回し、アフガンの市民は再び自由を取り戻した、めでたしめでたし。

     と言いたいとこだけど、事態はいまだ変化している、この時点での僕の考えを記述しておく、僕はアメリカの報復空爆には最初から反対していた、テロの犯人がラディンであるという確証すらなく、決めつけて空爆をする神経を疑った

    「あいつは怪しいからあいつが犯人に違いない、だから殺そう」

     という理論だ、「サマーオブサム」という映画で、連続殺人犯の犯人を

    「黒人でロックが好きだから、あいつが犯人だ」

     と決めつけて、街の自警団が黒人をリンチする場面がある、あの場面はまさにアメリカという国の脆い側面を明確に描写できている。

     そして犯人は黒人ではなく、引き蘢りの白人のサイコだったのだ。

     そういう危惧があるからこそ、僕は今回の空爆には反対したし、御主人に褒められたくて尾を振る日本政府の対応にも反吐がでる思いだった。

     だけど、アメリカがやられたらやり返すという単純な論理で国をあげて空爆をしたおかげで、アフガンの恐怖政治は終焉を迎えた、市民はマフラーやベールを取り、テレビを買い、自由を満喫しはじめた、素晴らしい事だ。

     僕みたいに「暴力はいけない、戦争は駄目だ」と言い続けても、事態は変わらなかったと思う、それだけでは駄目なんだ、正義やモラルだけでは歴史は回らないのだと思った。

     だが、それは今回は運がよかっただけかも知れない、ベトナム戦争の時のように泥沼になり明確な正義も思想もうやむやのうちに、ただ死体が増えて行くという戦争になる可能性だってあった、戦争は人口を減らす為の生物の生き残る生存本能なのだから、それが正しいとか悪いとかは人類は断言できない。

     今回はなんとか上手くいった気がする、僕らが「反戦」と言ってても事態は変わらなかった、世の中の動きは様々な思いが交錯して進むものなのだ。それは綱渡りみたいなものだ、もしかしたらベトナム戦争みたいになっていたかも知れない、もしかしたら核戦争になって日本は無くなっていたかも知れない、我々は生きているのではなくて、生きてよいのか試されているのかも知れない。

     だけど、我々は戦争しなくても生きていけると信じたい。ただその段階に進むまではまだ何世紀もかかるだろう、もしかしたらそこにたどり着けないまま滅びるかも知れない。

     それでも僕は今回のアメリカの空爆は反対だし、人が死ななくても戦争しなくても、誰もがうまくやれる時代がくると信じている。

     「世界大戦争」という映画では、日本は唯一の被爆国として最後の最後まで戦争に参加せず、ただ核ミサイルが到達するのを待った、人類は滅びてしまったが、この映画での日本政府の対応は人間としての尊厳に満ちあふれた態度だと言っていいと思う、テロや空爆でにわかに右向きになっているアメリカの人にこそ、この円谷特撮映画を見て欲しい。

     最大の復讐は報復ではない!

     むしろ許す勇気を、前進と進化を望む。

    01/11/30 PAGE TOP


    「ギター遍歴」

     ギターが好きだ。もう10年以上弾き続けている。

     最初に買ったギターは、高校生の時、クラスメートでバービーボーイズやボウイをコピーしている人から六千円(2000×3ヵ月払い)で買った、ボロボロの「フライングV」というギター、当時大流行だったヘビメタのギタリスト御用達のモデルだ。

     ストラップを買う金が無い僕は、ビニールのヒモをストラップ変わりにした、アンプも無いのでラジカセにつないでヘッドフォンで音を聞いた、ヘビメタとは完全に別世界だ

     引き蘢りメタルか?

     大学に入ると、URCフォーク好きの友達にフォークギターを貸してもらった、このフォークギター、実に卒業するまで四年間貸りっぱなしであった。そのおかげか、このギターで僕はコードが押さえられるようになった、ブルーハーツや昔のフォークを耳コピして歌った。

     さて、次に買うのが「アリアプロ2」だ、実に定番だが、これは貧乏なギター少年がまず買ってしまう、廉価版のエレキギターだ。確か2万円だった。しかしこのギター、形はかっこわるいが音は良いのだ、ピックアップという音を拾う部分があるのだが、安いギターは普通シングルコイルといって1つしかコイルの無いものがほとんどだが、アリアプロは2重になっているハムパッキングというピックアップだった、アームも付いていて信じられないくらい歪むし、エフェクターを限界までかけて、さらに2重につないだら物凄いノイズを発生する、いやあ

     あなどりがたしアリアプロ!

     そして、次のギターは、もう定番中の定番「ストラト」だ、どのくらい定番かと言えば車で言えば「ワゴンR」に当たるだろうか、これも友人が貸してくれたのだけど、もう弾きやすいったらありゃしない!アームも付いてるし、音も綺麗だし、これはみんながこぞって買う訳だ。

     だけど僕はすぐにストラトを返してしまった、理由は、つまらないのだ

     弾きやすいけど思い通りになりすぎて非予定調和なプレイは出来ないし、音も綺麗すぎてクリアトーンはいいけれど、エフェクターをいくらかけても音にザラザラした歪みが出ない。要するにストラトは優等生なのだ。そして僕は優等生は嫌いだ

     「ストラト」の弟に当たるのが「テレキャス」だろう、これは「ポリス」が好きな友達がいて、何度か弾く機会があったのだけど、「アームの付いていない高音が良く出るストラト」といった感想だ、ポリスのような技巧派バンドがよく使用している。これもちょっと着いて行けないと思った。

     そして、次に運命のギターを購入する事になる。それは「ジャガー」だ。フェンダーのシリーズでは、ストラトがり、テレキャスがあり、その上にジャズマスターがあって、そして「ジャガー」だ。

     このギター、弾き難いし、アームもお飾りみたいなもんだし、弦も替え難いし、音も歪み過ぎてうるさくて制御できない、フェンダー初期からあったギターなので、はっきり言って原始的で野蛮な感じがするのだ。

     ところが僕には一番しっくり来たギターだった。

     今もバンドでも使っているのだが、やはり音に広がりがあって、弾いていると乗るのだ、そしてどんなデタラメなとこを弾いても、それなりにかっこいい音になる、実に素晴らしいギターだ、実際、バンドでもうひとりのギタリストが使っているストラトで同じ曲を弾いても弾けないのだ。ストラトは使いやすくて音もいいけど、プレイしている人の限界を超えさせる事は出来ない、だがジャガーは自分でも思いがけない音が出てくる、これがギターの持つ魔力という奴なのかも知れない。

     そして最後になったが、エピフォンのエレアコ。これは単純に見た目がかっこいいのだけど、弾き語り用にと思って買った、アコースティックな音も出るし、歪み系をかましたら、それなりに伸びのよい音になる、ジャガーと併用して使うと、それなりにメリハリも出せるし、音の違いがまた面白い。

     というようなギター歴だけど、本当はニールヤングが使っている様な、アーム付きのギブソンとか、モッズ御用達のファイアーバードなんかも欲しいんだけど、あれは庶民が買えるギターじやないのよ。

     あくまでも庶民派ギターとしての遍歴でしたが、ギター、また買うとしたやっぱり「ジャガー」だろうな、女の子と同じ、惚れたら一筋死ぬまで愛し続けるって事だな

     ギターばかり愛さないで、現実の女の子も愛したいのだけどなあ、かくも現実はそう甘くはない。

    01/11/30 PAGE TOP


    「犬についての考察」

     正月から犬について考えている。

     昔から大の猫好き、犬嫌いで有名だった、猫は何もしないけど、犬は吠える、走ってくる、噛み付く、虐める、という印象がある、かなり片寄った印象だけど、子供に小さな体から見た犬というのは怪獣の様に怖かったものだ。

     トラウマなのだ、結局。小学生の時に、校庭に迷いこんで来た野良犬に追っかけられた事がある、子供の僕は「殺される」と思って大声で泣いた、その後犬がどうなったかは覚えてはいないが、野良犬は吠えて追っかけるだけで噛みはしなかった。

     近所には、1メートル以上はあるだろうというシェパードを飼っていて、その家の前を通る度に犬が塀から顔を出して吠える、そりゃ番犬だからしかたないけど、うるさいし、怖いし、しかも毎日通っている道だから犬もいいかげん覚えてくれればよいのだけど、何年たってもその犬は僕に吠えた、庭に放し飼いにしているので、その気になれば犬は塀を飛び越えられるし、僕はいつかこの犬に襲われる…とビクビクしていた、まさに近所の脅威だった。

     夜になるといつも近所をランニングしていたのだけど、夜の10時くらいに一人で走っていると、毎日その家の前で犬は吠えた、毎日同じ時間に来るのだからいいかげん覚えてくれればいいのだけど、犬なのでしかたない、ただ子供の僕は本当に怖かった、5年間、一日2回、その犬に吠えられ続けた、もはやトラウマというより、セクハラならぬ、アニマルハラスメントだ。

     大学の下宿に野良犬が迷いこんで来た事がある、犬はエサをもらうと部屋の前に居座ってしまう、ドアを開けると「クンクン」とこびた声で鳴く、うっとおしい、エサをやらなくなってしばらくして、犬は姿を見せなくなった、ほっとしたある日、部屋のドアを開けたまま下宿の共同トイレに行って帰って来た、すると犬が僕の部屋に上がり込んで、僕の座ってた座ぶとんの上にいた、僕は思わずカッとなり犬を追い出した。

     まあ、そんな訳で犬は嫌いなのだ、飼い主に従順でいつも吠えてうるさくて、おまけに媚びる、人間にすると最低の性格だ、もちろんそんな人間も大嫌いだ

     正月になんで犬の事を考えているのか、飼い犬というのは不思議だと思うのだ、彼等は首輪とひもをつけられて稼動範囲数メートルの中で生活している、ストレス発散の為、飼い主は1日2回散歩にさせないといけない、そこまでして犬を飼う理由が犬側にも人間側にも見当たらない。

     一体犬ってなんなんだ?という事になる、古来犬は外敵から家を守り、主人につくす人間の下部だった、その延長だろうか。犬を飼う事で人間は自分に自信が持て、犬をかわいがる事でストレスを発散し、生きていける、浮浪者が犬を連れているのも同等の理由だろう。

     つまり人間は弱いから、犬を飼う事によって、より生活をしやすくする。という結論だ。

     吠えなくておとなしい犬なら好きだけどなあ、でも犬はめんどくさいから、猫の方がいいや。

    02/01/30 PAGE TOP


    「プログレ=無駄な知識」

     ほんと、人間って無駄な事ばっかり覚えて脳みそを無駄にしているんだわ、まあ僕の事だけど。

     この間、突然「バオー来訪者」という漫画の一節を、本当に突然思い出して、それが中学生の読んだきりなのに克明に思い出した。

     メルディッテンパルム、アームドフェノメノン!

     なんか訳分からないけど、この意味不明な言い回しが中学生の男子にはたまらなかったのですよ、だから脳みそにこびりついていたのだろう。

     エヴァンゲリオンの庵野秀明も、ヤマトが波動砲をするまでのプロセスを今でもソラで言えるという、オタクの無駄な頭脳の消費こそ素晴らしいものはない。映画「ギャラクシークエスト」では、オタクの無駄な知識が世界を救った(オカンにゴミ捨てを命ぜられながらだが…)、あれほどスカッとした瞬間はなかった。

     僕も、自慢にはならないのだが「ビューティフルドリーマー」で、メガネが延々と語る「友引前史」のナレーションをいまだに完全に暗記している、かくもオタクの青春とはネガティブかつ膨大な情熱に満ちあふれている。

     さて、それで今回思い出したのが、全く自慢にならない僕の記憶だ、青春時代の僕は「プログレッシブロック」に夢中になっていた、友達よりも女の子よりも、怪しくで知的で訳の分からない音楽を聴く事に興奮していたのかもしれない、なんて虚しい青春だ、だかしかたない、青春は一度だけ、僕の青春は「プログレ」だった。

     プログレバンドというのは、無茶な名前が多いのだけど、日本の四人囃子とか、イギリスのヴァンダーグラフジェネレイターなんてのはまだ可愛い方で、これがイタリアに行けば大変な事になる、実際、僕もイタリアンロックは大好きで、そのネチネチとした発音と泥臭い音楽性に非常に生命力を感じてしまうのだ。

     で、この正月に帰省した友達とプログレの話になった時だ、突然とめどなくイタリアンロックバンドの名前が噴出した、僕自身忘れていた事なのに驚いた。

     イルバレッドディブロンゾ

     イルパレーゼディバロッキ

     クエアベッキアロカンダ

     マウロパガーニ

     ロッカンダデッレファーレ

     ムゼオローゼンバッハ

     まるで意味不明な早口言葉だ、だが、それぞれのバンドは素晴らしく、今でもたまに聴き返したくなる、聞き返したくても、もう売り払ってしまったので聞けないけど…

     イタリア以外にも冗談みたいなバンドはある、例えば今オシャレなブラジルだとサグラドコラソンダッテッラだ、長過ぎるぞ!ロシアに行けばズイトコマイノビッチだ、もはや何だか分からない。

     しかし、男の子って奴は、なんでこんなに無駄な事ばかり詳しくなってしまうのだろう、こんな事を覚えていても一銭の儲けにもならない。

     いや、だからこそ覚えてしまうのかも知れない、これは人生の打算とは一切無関係な自由な意志だ、言うなれば「マニアの受難」という奴だろう、こればかりは誰がどう注意したところで止められるものではない。

     僕の虚しい虚しい青春はこれなのだが、やっぱり、これが僕の青春なのでしかたない、人生が2度あってもやっぱり似たような人生を送ってると思うよ。

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    「ドカベン」

     ドカベンが嫌いだ、なんで嫌いなのかよく分からないが好きになれない。

     まず、野球そのものの面白さが理解できないのが大きな理由だ、「巨人の星」や「タッチ」は、野球のルールを知らなくても楽しめる作品だったし、前者はドン底から這い上がって完全燃焼してやがて滅びていく、滅びの美学に夢中になったし、後者は、汗や根性を一切見せずにスマートに展開していき、なおかつ適度に美少女なども入れつつ進行する80年代を代表する作品だった。

     「ドカベン」には根性も無ければスマートもなかった、ただバタ臭い絵柄で野球を延々としている作品だ、アニメはまあいい、菊池俊輔による前時代的な音楽が、あの絵にはぴったり合っていた、テレビをつければ「パラパラパ、パラパラパ、パーッパッパァッ」という時代劇みたいな音楽が延々流れてて、試合解説者が何か叫んでいる場面ばっかり続いてた印象がある、あの作りは70年代アニメとしては王道だ。

     僕は「ドカベン」の持つ精神性とか世界観、キャラクターが苦手なのだ、主人公の山田だ、こいつが気に入らない、山田は完璧な二重人格者の確信犯エゴイストだ、表と裏の仮面を巧みに使い分けでチームを操っていくあの嫌な嫌な人間関係を僕は見ていたくない、汚らしいからだ。

     表は

     「どーしたんだ岩鬼くーん」

     と下僕の様に卑屈になりながら、心の声は

     「頼むぞ、岩鬼」

     とやたらエラソー、世界は俺のものって感じだ、あれが嫌なんだ、畳屋の息子というのはそういう意味だったのか?

     トノマはまあキャラ的に山田に依存せざる得ないので、あえて理解してふるまっているが、他の連中は騙されっぱなしである、ほほえみ三太郎なんか微笑んでるだけである、大体なんだほほえみ三太郎って名前は!

     スボーツ漫画なら小賢しい駆け引きなしに努力と根性で勝負せんかい!ちばあきおの「キャプテン」を見習って欲しい、あれは才能も何もない谷口が人に見えない努力をしてチームをまとめ、そして勝っていく実に清清しい傑作だ、「ドカベン」で随所に見られる作者のエゴなんか微塵もない、ただ、がんばらなくっちゃ!という作者の思念が紙の乗り移っているかのごとく展開していく、あれは傑作だった。

     漫画的に見てもレベルは低いだろう、作画力や構成も低いが、訳の分からんエネルギーがあるか?といえば無いのだ、ただ野球ファンにだけはカルト的に信仰されている。

     そう忘れもしない漫画夜話の「野球狂の詩」の時、全員が水島漫画の問題的を論理的に指摘しているのに対して、ゲストのダンカンは、何を言われてもこう返すのだ

     「いやぁ、野球ファンじゃないとこれは分からないっスよ」

     またダンカンって存在が嫌だ、ダンカンといえば師匠に取り巻いてそれなりの地位を押さえて下の者はパシリに使うタイプである、世に言うヤンキー芸人である、そうだ、「ドカベン」はヤンキーに絶大に支持されている、大体ヤンキーあがりの体育会系で現マイホームパパという人に

     「しおみくん、ドカベンじゃあ、ドカベン読まにゃあおえんがあ」

     などとよく言われた、何を言ってるのだこいつは?統計的においても「ドカベン」好きな奴は「強いものにはへつらう、弱いものはパシリにする」傾向が高い、あくまで僕の人生においてだが。

     僕は野球は嫌いだが、野球漫画は本当に好きで、やはり「キャプテン」が一番好きだ、あの漫画には曇りも迷いもエゴすらないからだ、それがスポーツが本来持っている精神だと思う、「ドカベン」の拒否反応はそれに起因していると思う、最近現実と虚構がまぜこぜになっている「ドカベン」だが、そこに梶原漫画的な滅びの美学は見うけられない、「ドカベン」は「野球ファン」というフィールド内でのみ評価される実に凡庸な駄作だ、「ドカベン」好きが弱者をパシリにする限り、僕は「ドカベン」という漫画を認めない。

     嫌いというより、やはりそういう反全体主義的な感情が強いという事なのかな、本当に強くて優しい人間はあんな漫画を読まない、これだけは事実だ。

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    「オタクの種類」

     「オタク」には「ナード」と「ギーク」と「ゴス」の3種類があるらしい、あくまでもアメリカのオタクの話だ、ナードだのギークだのの詳しい区分けは曖昧だ、それは日本に当てはめても当てはめる対象が無いからだ。

     

  • 「ナード」はマッチョなタイプでもないが、かといって内に籠るタイプでもない、なんとなく自己が強くて人とコミニュケイトするよりかは一人でいたいタイプで、日本語で言えば職人タイプだ。

     

  • 「ギーク」これこそオタクタイプ、実社会との接触を控えて、ただひたすら自分の好きな事ばかりしている内向的な性格、職人というほど世の中の役にも立てないし、オタクを極めて学問に高める能力もないハンパな存在、日本での「オタク」に最も近い存在だ。

     

  • 「ゴス」これは、オタクとパンクの中間に位置する、あくまでも自己を大切にし、決して人前で目立たないクールな性格、常に反社会的に行動するリアルパンクス、パンクスみたいに馬鹿騒ぎはしない、常に目立たなく自己は誇り高く、そう、クリスティーナリッチやジョニーデップみたいな存在だ。

     アメリカでは、この3種類がごちゃ混ぜになっている様子だが、日本ではただオタクの一言で片付けられてしまっている、別に僕は種類にわける事に興味はなく、ただオタクの人達の姿勢に問題があると思うのだ。

     例えば、その話しかしないオタクだ、もはや型が決まっていて、それしかしない、それしか認めないオタクだ、これは非常に危険だ、思えば60年代の連合赤軍の内部リンチも、最近で言えばオウムも、すべからく、こういうったカルトな信仰がもたらした惨劇だと言える、オタクの名を汚す最低の行為だ。

     一見オタクとは無関係に見えるが、バブル時代のリーマンのブランド嗜好なども実にネガティブでオタク的である、俺はこのブランドしか身につけないなどというタイプ、あれは世間的に成功はしているが実際は鬼畜なオタクの面汚しという訳だ、みんなももっと軽蔑してよい。

     正しいオタクなどない、だが「ゴーストワールド」のブシュミを見よ、中年にして恋人すらなく、ただブルースのレコードを集め続け、その素晴らしさを世に解く訳でもなく、ただ愛し続ける、あの強さと優しさと情けなさをどう思?あれこそオタクだ、ナードでもギークでもゴスでもない、あえて言うなら、あれこそパンクロッカーだ!と思う、本当に。

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    「タダミのオッサン」

     東京で中学生がホームレスを残殺したニュースを聞いた。

     まっ先に思い出したのは「タダミのオッサン」だ、果たして、タダミのオッサンだっかタダミのジジイだったか、当時の呼び名ははっきりと思い出せない。

     小学生のある時期、町の福祉センターをたまり場にして遊んでいたのだが、そこに毎日通う老人がいた、町でも有名で、僕らは「タダミのオッサン」と呼んでいた、なぜかというと、毎日朝早くから閉館まで、センターの娯楽室の大型テレビの一番前のソファーに座っているからだ、家で見ればいいのに、わざわざセンターまて来てテレビを独占するちょっと異常な姿勢をからかっていたのだ。

     もしかして彼の家にはテレビが無いのかも知れない、年金は貰っているが家族も肉親もなく、家にいるよりはセンターにいた方が心が休まったのかもしれない、ただし、どう見ても無教養であり、いや、はっきり言うと知恵おくれっぽい老人だった。 

     子供の僕らにとってはかっこうの的だった、僕らは公園に落とし穴を作り、彼をからかっておびき出して落とし穴に落としたりした、彼は怒って僕らに犬の糞を投げ付けた、それも僕らは面白がっていた。

     いつの間にか僕らはセンターに行かなくなり、彼の事も忘れた。

     子供が、男の子が群れて悪戯をしたがるのは本能的なものだ、僕らもそうして仮想敵を作っては攻撃した、とんでもない話だ、だが、僕ら子供ながら「これ以上やるといけない」という線は守っていた、子供ながらもそれは分かっていたのだ、それが現代の子供と僕らの時代との差異なのだと思う。

     北野武の処女作「その男凶暴につき」のイントロを思い出してみよう、あんなに衝撃的で異常でバイオレンスでインモラルな映画もなかったが、その出だしは

     「おじさーん」

     って塾帰りの中学生がストレス発散の為にホームレスを虐待するシーンだ、続いて武ふんする刑事が、その中学生の首謀者の男の子の家に上がり込み、その男の子をボッコボコに殴るシーンだ。

     つまり、悪い事をしたら怒られなくてはならないという事なんだ、それを親達はしなくなった、自分の子供を盲目的に可愛がり、例えばプールに行ったとしよう、自分の子供が冗談で他の子に泣かされたとしよう、すると、いつもニコニコの元ヤンキーのマイホームパパはその子の親に

     「ナンジャイワリャ、ブッコロスゾボケーッ」

     と原点回帰、こうして親は子供を歪めて育てていく。

     まあ、こうした悪循環が日本を歪めてる訳なんだけど、それに対して、下町のオヤジのごとくツッコミを入れた武はベタながらエライ!と思う。

     子供は馬鹿なんだから、自由に育てて、そして、悪い事だけはキチンとダメと教えなくちゃ、親だったらそうでしょう、僕なんて女の子と付き合った事すらなくて親になれそうもないから言ってんだ。

     あんたら幸せなんだから、少しはキチンと子供を育てろよ!

     幸せって意味すら歪んでしまってるから起きた事件なんだけどさ、歪みは意志さえあればなおせます。

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