「おもちゃ箱」をひっくりかえしたような

数百種類の<小物玩具達>

           アサヒグラフ記事より


【飛びだす10円オモチャ】    <・・>は注釈
 
子供のオモチャにも、マクロとミクロがあるらしい。でっかい縫いぐるみの動物やレーシングカーが、大きさと値段の点でマクロの代表格なら、近ごろ、子どもたちの間で人気が出てきた、この十円オモチャは、ミクロのチャンピオンだ。
 
 三十二、三ページのカラー写真をご覧いただきたい。文字通り、オモチャ箱をひっくりかえしたにぎやかさ。中にはおとなでもちょっとほしくなるようなのがある。たとえば、横からのぞくと「主の祈り」の英文が見えるバイブル。かわいらしい砂時計。ほんとうに見える望遠鏡。中に人造パールがはいった宝石箱。子どもたちに絶対人気のあるのは、アゴを動かすと目玉と舌が飛び出すガイコツだ。これだけ種類があっても、しばらくすると飽きられるから、次々にあたらしいオモチャに切りかえられてゆく。
 
 どれも一個十円だが、残念ながら、あれがほしい、と思ってもそれが手にはいるとは限らない。オモチャはみんな長さ十センチ<3.5センチの誤り>ぐらいのプラスチック製カプセルに収められ、自動販売機の中にはいっている。十円玉を入れ、ハンドルを回せば、コロンと飛び出してくる。しかし、何が出るかは、まったくのあなたまかせ。これがおもしろいところで、以前、中身だけをオモチャ屋の店先に並べたことがあったが、ほとんど売れなかったそうだ。

 
 自動販売機というアイデアは、種を明かせば、アメリカ製。もう三十年ほど前から、
5セント(約十八円)、十セント(36円)、二十五セント(九十円)と、三種類の自動販売機があり、子どもたちに喜ばれてきた。日本に入ってきたのは、昨年5月<昭和39年>からで、以前、オモチャをアメリカへ輸出する仕事をしていた重田哲夫さん<故人>が、取引先<Hard-field.Co.,の社長:Mr,L,O,Hardman>からのすすめで、はじめたという。
 したがって、東京、横浜、川崎、千葉、大阪のオモチャ屋、文房具屋の店先に、千台ほどおかれている販売機<BIG-BOY型>は全部アメリカ製。今のところ、日本でつくるよりも、輸入した方がずっと安上がりだからだ。
 輸入といえば、オモチャそのものも、ホンコン製がかなり多い。なにしろ、歴史の古いアメリカからの注文で作っている業者が数多くあり、品種も種類も豊富な上に、値段が安い。重田さんも、昨秋、ホンコンへ買付けに行ってきた。
 
 目下、一日に一万個ぐらい売れており、これからもまだ伸びそうだというから、たかが十円と、バカにはできない。ただ、やっかいなのは、毎日売れた分を補充し、十円玉の集金をして回らなければならないことだ。やれ「空っぽになった」、やれ「故障した」と連絡電話がたえないので、社長をはじめ七人の社員が、東京蔵前の営業所を根城に、ライトバン<当時はパブリカバン>で東京中をかけまわる。
 なにごとも、さかんになれば、問題がおきてくる。もう、ガイコツを出したいばっかりに、一人で三千円も使った子どもがいるという。おもしろいばっかりではいられない。










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【時代背景】
 当時は1ドルが360円でした。輸入するには外貨割当制度があり、I,L(Import License)の承認が必要でした.。I.Lを通産省の窓口
(日比谷公園の近く)に提出し許可を受けなければなりません。ここが毎週指定日が決まっていて、ごったがえしの大混雑、我先に提出
すると、このタイプ印字がおかしいから、訂正・補正をもとめられ、備え付けのタイプライターを使用。これも順番待ちで、汗だくの作業でした。
全く役人は、うるさい連中が多かったようです。
 許可(スタンプの押し印)がとれたら、外為銀行(当時は第一勧業銀行、駒形支店)に提出し、決済(輸入品の支払)の許可をもらいました。
 記憶によると、国家予算が1兆9千340億円余で、語呂合せに「いくさなし予算」なんてよばれた時代です。初任給が三万円でラーメン一杯
35円、散髪100円、ちなみに筆者の報酬は六万五千円と高給取の部類でしたか…
 サービスかーのパブリカは大衆車として発売され、バンタイプで約二十五から三十万円と記憶しています。出始めは空冷式水平2気筒の
500ccでしたがすぐに800ccが出ました。暖房はありましたが、冷房は当然ありません。


 
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