● 取引代理店は全国に・福岡に新会社設立
当時の代理店は沖縄のNさん。鹿児島のAさん。四国高松市のT自動機。神戸の関西ペニイ・南 啓治さん。大阪のH商会。関東ではN自動機のYさん他、個人で数社。仙台市のK商事。青森のM物産。札幌市M商事などがあり、思い出多き取引先であります。
現在営業を続けておられる方々は関西ペニイ初代社長(物故)のご子息が後を継がれています。
● サービス専用車を特注(昭和44年6月1日導入)
何とかフォローする時間を短くして、多くの設置先を回れないか。議論の末、パネルバンを造りました。大きさはトヨタ・タウンエース級に今の保冷車のような箱を取り付け、内部左右壁面に5段の棚を取り付けました。棚には自販機のグローブ(カプセルを入れる透明な部分)2個を入るセル(鉄製の小箱)が収納される構造でありま
した。サービス員は現場で自販機の首だけ交換したのです

奮闘記 その2



プラチナ第5ビルに移転したことは前に触れたが、社員も社長以下46名に膨らみ、サービスカーは20数台になった。
朝の出発は店頭の路上に当社が占領、苦情が絶えなかった。車は当時低価格(30万円)のトヨタ・パブリカで空
冷800ccのエンジンを搭載、勿論クーラーなしで夏の炎天下は蒸し風呂状態でありました。

  

【駒形事務所にて・65年12月】

車の愛称は「コメット号」「ドラゴン号」、2台ともブルーで統一され外面にアニメと社名が賑やかに描かれていました。
当時これを米国式集中サービス方式と呼びました。


  【白樺湖へ社員ドライブの途中一服・65年8月】

福岡市が空白状態でしたので、同市伊集院町に昭和44年1月、(有)クインズ自動販売機(資本金300万円)が設
立され、初代社長に営業課長の新井毅氏が就任しました。後述しますが、これが西日本ペニイ(有)の前身でありま
す。
ペニイの本拠地での経営は東京駒形から横浜の鶴見区駒岡町へ昭和45年に移転し全国展開しており、社長は
伊藤元治氏です。詳細は後段にします。


● 続々各地に営業所開設
昭和42年をスタートに台東区松が谷に将来の100円機対策を睨んだ外商部営業所(担当:重田龍三)、新宿角筈
に城西営業所(担当:重田龍三)、栃木県足利市に北関東営業所(担当:新井 毅)、川崎市に川崎営業所(担当:川
辺 克)、愛知県小牧市に
小牧営業所(担当:元川崎所長・川辺)、新潟県三条市に三条デポー(担当:塩原ツジエ・当地出身)


    
○ 椿山荘にて ○    66年8月                    Hongkongでのランチタイム(飲茶)左端筆者
左から、重田哲夫・同妻(故人)
重田龍三・Nさん

Mr.L.O.Hardman & Mis.Qenne(故人)
   
○ 香港・Mr.Hardman Office○              ○  椿山荘にて ○           
   
重田龍三・ハードマン夫妻            (右)ノースウエスターン社社長ヴォーレン

    
Hardmanのホンコン工場にて。右手前・関西ペニイ        Hongkong:Ferry-Boatにて’91sept
南 啓二さん(故人)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● 社名変更と組織改正
昭和44年は大きな変革期ともいえます。パイオニアとしてひたすら走っき結果、
改良すべき矛盾点が噴出したのです。

★社名を(株)ペニイ商会からペニイ自動販売(株)に変更、
昭和44年5月1日から組織を三部門にした。
1) 首都営業部(メトロポリスサービスデビィジョン)
2) 地方営業部(ローカルビジネスデビィジョン)
3) 管 理 部(スーパーバイズデビジョン)

★ 首都営業部・支 配 人:重田 龍三 <現:西日本ペニイ(有)取締役会長>
・副支配人:近藤 勲 <現:株式会社ペニイ(横浜)代理店>
・ 主任(キャップ):M氏
以下15名
★ 地方営業部・支 配 人:重田哲夫(社長兼任・故人)
・ 副支配人:S氏
・ 主任(キャップ):川辺 克<現:株式会社ペニイ代理店・小牧市>
以下16名
★ 管 理 部・支 配 人以下:9名

陣構えは整いましたが、これからが競合激化が始まりますが、もう少し、スタート時のお話をします。
to アサヒグラフの紹介記事や時代背景