★新設<台湾:見聞録>Val :1★

台中に在る台湾人日本兵の「霊安故郷」寸描

2005年(平成17年)12月7日、私たち夫婦は霧社へ向かう途上、寶覚寺を参詣した。ここ台中は台北からおおよそ250Kmにあり賑やかな
街でありました。本堂は先の地震のため改築中、下記掲載の大型「金色の布袋像」があり、内部は図書館になっていたそうだが、地震の
ため、閉鎖していました。

先の大戦で、台湾人徴兵者は南洋諸島で多くの戦死者を出しました。ここは兵士の御霊を祀る、台湾唯一の寺院です。下記の文は当寺
の老女から頂いた説明書を原文のまま転記したものです。

日本の皆様、

ようこそ台湾へ御旅行に来られましてほんとうに御苦労様でございます。

そして台中寶覚寺へお立ち寄り下さいまして誠にありがとうございました。

今、皆々様の前に聳え立つている記念碑があります。この記念碑は「霊安故郷」慰霊碑と申しまして、先任の台湾総統 

李登輝先生が御題名下さいました記念碑でございます。

此処に、私は日本の皆々様に対し、この「霊安故郷」慰霊碑建設のあらすじとその意義を説明させていただきます。

昔、台湾は日本の一部である事跡と歴史は皆さん御存知と思います。先の戦争に於いて日本教育を受けた愛国熱血

あふれる台湾青年は、われが先にと日本軍人、軍属に志願し、南洋各地の戦場に駆けつけたのであります。その員数

は20数万に昇っているとの事です。これら熱血溢れる台湾青年は忠勇無双の日本兵と生死を共に南洋各地の戦場で

奮戦し国のため華々しく散華なされました元日本軍人、軍属の台湾兵士は3万3千余柱に昇っています。

その中2万7千余柱の英霊は有り難きも、靖国神社に奉祀なされましたが、終戦前戦死なされました6千余柱の英霊は

靖国神社に奉祀する事、間に合わず、南洋各地の空に無宿の野鬼となり、漂っている哀れな有様でございます。

太平洋戦争は日本の戦場拡大に因み、兵員不足と軍用物資の輸送困難とアメリカの広島と長崎に投下した原子爆弾により、

日本は太平洋戦争に負けました。時は昭和20年8月15日です。戦後台湾は日本に手離された台湾は台湾として中国国民

党政府の管轄を厭けながら50数年の長い時間を受けて来ました。

戦後我ら元日本軍人、軍属の陸海軍生還者は台湾同胞の戦争で散華なされた英霊の奉祀問題に鑑み、有志一同の資金

募集と日本陸軍南星会の御協賛と資金の支援、最後に台中市寶覚寺の許可を得て此処境内に於いて慰霊碑を建造したの

であります。

1985年に施工はじめ1988年11月25日に完成、同日盛大なる落成式典を厳かに挙行いたしました。そして戦没者の遺族並び

戦争生還者の英霊に対する遺徳顕彰、英霊鎮魂の祈願に鑑み靖国神社の許可を得て2万7千余柱の英霊を台湾へ招聘と

同時に南洋各地に漂っている哀れな野鬼の英霊6千余柱をも招魂いたし、そして先任台湾総統 李登輝先生の御題名である

「零案故郷」(英霊よ、安らかに故郷へ)の慰霊碑に奉祀いたしたのであります。爾来間断なく年に春、秋2度、盛大且つ厳かに

諸英霊の遺徳顕彰、英霊鎮魂の慰霊祭を挙行いたしております。とくに毎年の11月25日の秋の慰霊祭に於いては日本各海

交会並びに諸団体から多数のお方様が台湾へおいで下され、慰霊祭に御参列なされ諸英霊をお慰めしているのでございます。

以上が「霊安故郷」慰霊碑建造とその意義のあらすじでございます。

日本の皆々様よ、台湾への御観光の際は是非とも台中寶覚寺へ御立寄り下され、慰霊碑をご参拝して下さい諸英霊はきっと

皆々様のご健康をお守り下さると思います。

皆様御元気で。

2003年吉日                                        寶覚寺霊安故郷慰霊碑護持会
                                                台 湾 台 日 海 交 会
                                               名誉会長  張  徳  水
                                               会  長  林 徳 華同敬具

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    兵士の御霊を慰め、平和を祈願する布袋様の大像  
                                         日本統治時代、国民学校4年生まで日本の教育を受けたという
                                         ボランティアの老女が語る寺院説明。
                                         老女は「日本語の歌」を披露してくれ、私たちも合唱しました。
        【05.12.07:撮影】
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